安部晴明VS蘆屋道満 第壱章 藤原道長呪詛未遂事件

「--急急如律令(きゅうきゅうじょりつりょう)!」
 おぞましい妖気の中、凛とした呪文を唱える声だけが響く。
 瞬間、それまで立ち込めていた妖気が何事もなかったかのように引いていった。
「これでいかがでしょう?」
 符を構え、呪文を唱えていた青年が後ろに立っていた男の方を振り向き、笑顔で尋ねた。
「お…おお……さすがは晴明(せいめい)殿! 先程まで重かった身体が、今は軽うございます!」
「そうですか。それはよかった」
 青年はにこりと笑って、懐から護符を差し出した。
「これを鬼門--丑寅(北東)の方角にでも貼っておいてください」
「はっ、はい! 毎度毎度晴明殿にはお世話になって……どうお礼をしてよいのやら」
 男はすかさず青年の手から札をもぎとると、がしっと両手を掴んでぶんぶんとちぎれんばかりに手を上下に振った。
「いえ……これも仕事ですから」
 青年はやっと解放された右手で興奮しすぎな男を制止した。
「また何かありましたら気軽にお申し付けください」
 そう言うと青年はひらりと身を翻し、屋敷の入り口へと向かった。
「もうお帰りになられるのですか!? おい、誰か見送りを--」
「結構」
 たった一言だけを残して、彼は颯爽と去っていった。
 時は平安。魑魅魍魎(ちみもうりょう)跋扈(ばっこ)している時代。
 そんな中、一人の名だたる陰陽師(おんみょうじ)がいた。
 彼の名前は安部晴明(あべのせいめい)
 そう、あの希代の大陰陽師、知らない人は……多分いるだろうが、陰陽道界ではかなーり、いやメチャクチャ有名な、あの安部晴明である。

 彼は父親が人間、母親が狐という何とも不可思議な出自を持っていて、今は朝廷の陰陽寮(おんみょうりょう)と呼ばれる機関に属し、日夜悩める平安貴族たちを、彼お得意の陰陽道--陰陽五行説と呼ばれる、世界は陰陽と五行(木・火・水・金・土)により成り立っているという中国の思想に基づき、それらの変化を観察して瑞祥・災厄を判断して吉凶を占う技術であり、天文学や占術、様々な宗教、思想などを取り入れつつ発展した……まあ一言じゃ言い尽くせないくらい奥が深い、宗教とも思想とも言えないかなりオールマイティーで何でもアリなもの(っていい加減な!)--を駆使して救っている、いわば「官人陰陽師」だ。

「晴明様。道長(みちなが)様がお呼びです」
 屋敷に戻ってきたのを見計らったのかそうでないのか、一人の雑色(ぞうしき)(召使い)が彼の元に寄ってきた。
「--何」
 道長といえば、親子二代に渡って藤原氏の栄華を築き、娘をバンバン天皇に嫁がせることによって権力をがっしり握った貴族中の貴族、藤原道長(ふじわらのみちなが)である。
「何でも、ご帰宅なさいましたらすぐに参られよ、とか」
 晴明ははあ、とため息をつき、雑色を下がらせた。
「……たく、休養くらいさせてくれてもよいものを。人使いの荒い……」
 でも、何といっても相手は時の権力者。しかも晴明は彼のお抱え陰陽師である。断ろうものなら、後々どうなることやら……
 他の者に呪詛(じゅそ)をさせるとかなら、まとめて返せる自信はある。しかし、この位--従四位下(結構高い位)をとりあげられてはさすがに手も足も出ない。ここは、素直に従うしかないか。
「仕方ない……行くか」
 晴明はゆっくりと重い腰を上げて、道長邸へと向かった。
「おお、来てくれたか晴明殿」
 門のところで待っていた道長に仕える雑色の後ろをついて屋敷の中に入ると、顔を蒼白にした道長がわざわざ立ち上がって出迎えた。
「……何の御用で」
「おや? 顔色が優れぬようだが……大丈夫か?」
 大丈夫か? じゃない。仕事から帰ってきたばかりの人を間髪入れずに呼びやがって。
 しかも今日は先日やっと手に入った酒を呑もうと思っていたのに……すべて台無しである。
「というか、人の心配より自分の心配したほうがいいんじゃないのか……」
 自分の顔、鏡で見てみたらどうなんだ。
「? 何か言われましたかな?」
「い、いえ……何も」
 晴明はにっこり微笑んで返答したが、内心は冷や汗だくだくだ。
 危ない危ない。心の中で思っていたことを思わず呟いてしまっていたらしい。
「それなら別によいのだが……」
 道長は晴明の慌てぶりにいささか疑念を抱きつつも、言葉を続けた。
「うちの敷地内に法成寺(ほうじょうじ)という寺があるのをご存知ですかな?」
「ああ、カネが余って……ごっほん、仏教に対する多大な信仰心のためにお建てになられたアレですね」
「そう、そのとおり! あそこに毎日決まった時刻に参るのが最近の日課でしてな、今日もいつものように行こうとしたのだが……わが愛犬のポチ(♂・五歳・白犬)が道のド真ん中に座って、しきりに吠えたのだ!! まるで私を行かせぬようにするがごとく……って、アレ」
 道長はふと我に返った。
 見ると、晴明は先程まで道長が座っていた横に置いてあった徳利(とっくり)を手に取り、中身をしげしげとのぞきこんでいた。
「ほう、これは見事な清酒……」
「……せ、晴明殿……何をしておられて……」
 道長が恐る恐る尋ねると、晴明はびくうっと一瞬身を震わせた。
「い……いえ、べ、別にこれが欲しいわけじゃ……いい酒だなあって思っただけですから!!」
 冷や汗を滝のようにダラダラと流し、何だか色々な物が見え見えの弁解をする晴明に、道長はにっこり笑った。
「お目が高い。それは本国最高級と謳われる銘酒、南都諸白(なんともろはく)が筆頭、『菩提泉(ぼだいせん)』でしてな、先日取り寄せたのです。よろしければこの件が解決次第、差し上げますよ」
「……差し上げる?」
 一瞬、彼の目がキラリと不気味な輝きを放った。
「判りました。今すぐ占って差し上げましょう。では、終わり次第再びお伺いいたしますので」
「え、ちょ、晴め……」
 晴明は道長の制止をものともせず、まるで何かが取り憑いたかのようにすたすたと門から出て行った。
 残された道長は晴明の歩いていった方を向いて、ポツリと呟いた。
「……果たしてあれだけの説明で判ったのだろうか……」
 --しばらくして、晴明がすたすたと道長邸に戻ってきて、何事もなかったかのように「--して、何を占ってほしいと?」と尋ねた……なんてことは、本人のためにも黙っておこう。
「--むう。何やら地中によくない物が埋められている、とな」
「そのようです」
 晴明は帰宅すると火のついたように大急ぎで(や、決して報酬の酒のためにじゃないよ、きっと!)どうしてポチがそんなことをしでかしたのかを占い、結果が出るとすぐさま道長邸に舞い戻った。
「どうやらそれが埋められた場所の上を歩くと、呪詛が発動する仕組みになっているようです。で、道長様の愛犬の……えーっと何でしたっけ、ポチ? は、道長様がその上をお歩きになられないように阻止しようとしていたのです」
 何だかイマイチ決まらない晴明の台詞を受けてか、びしいっと扇が飛んできて彼の脳天を直撃した。
「『何』じゃない!! ポチは我の大事なファミリーぞ!!」
「ああっ、すみません! どなたでございましたでしょうか、でした」
「ふん。くれぐれも言葉遣いには気をつけられよ」
 道長はぱんぱんと手を払って言い放った。
 晴明は道長が扇を拾い上げ、よそを向いたのを確認してからぼそっと忌々しげに呟いた。
「ちくしょう……貴族のペットなのに『ポチ(♂・五歳)』なんてありきたりな名前を……それで『ファミリー』とか……これだから貴族というものは……」
 って言ってる本人も従四位下--れっきとした貴族なのだが。
「うん? 何か?」
「い、いえ。素敵なお名前ですね〜、ポチって」
「そうか。そなたもそう思うか。ほ〜れ、晴明殿もよい名前だと言ってくれとるぞ〜、ポチ」
 ……ここまでくると、もはやただの親バカならぬ飼い主馬鹿である。
「……で、それはどこに埋まっているのだ?」
「えーと、道長様がいつも通られているという……そこの道路のあたりですよ。ほらあの辺」
 晴明はなんともアバウトな方向を指し示した。
「あの辺か。--おい、今すぐ掘り返せ」
 道長は後ろに控えていた侍従(じじゅう)に向かって指図した。
「はっ」
 侍従たちは短く返事すると、どこからともなくスコップを持ってきて乱暴に掘り返し始めた。
 晴明はその光景をぼんやりと眺めながらふと思った。
(……果たしてあんな説明で大丈夫だったんだろうか……)
 え、ちょ、晴明さん!? そんなに不安に思うなら最初からもっと判りやすく説明すればよかったじゃん!!
(だって動くのもめんどくさかったし)
 めんどくさいって、主人公のくせに!!
(そもそも、この小説では読者のウケとか作者の趣味のために青年って設定になってるけど、実際はじじいなんだよね、この話の頃は。ていうか、まず死んじゃってるんだよね、本当は。まず下敷きにした話が矛盾してるんだよな〜)
 こらっ!! ネタバレはよしなさい!! さすがにかの超有名陰陽師・安部晴明でもその言動は許せないぞ!!
「み、道長様!! 何やら奇妙な皿が!!」
「何ィ!?」
「……アレ、本当に出ちゃった?」
 発掘されたのは、二枚の皿が黄色いこよりのようなもので十字に縛られたというものであった。
 侍従が訝しがって中を開けてみると、中には紙切れが入っていて、その上に朱色で呪文のようなものが記されていた。
 晴明はその様子を見てぼそりと呟いた。
「……これは……『埋鎮(まいちん)』ですね」
「まいちん?」
「呪術の一つです。--危なかったですね。この上をお歩きになられていたら、おそらく道長様のお命はなかったものかと……」
「そ、そこまで強力な物なのか!? 誰がそんなものを……」
「さて、どなたでしょう。これは調べてみる必要がありそうですね……」
「わ、判った。晴明殿、誰の差し金か判り次第、また来てくれぬか」
「かしこまりました」
 晴明は深く一礼して、道長邸を後にした。
 道長の前では「どなたでしょう」と言っては見せたものの、見当はついていた。
(こんな呪詛を使えるのは、私以外といったらヤツしかおるまい)
 色々な方法を試してみたが、どの占いでも結果は同じだった。
「しかし、ヤツとなると……黒幕は、やはり」
 彼の雇い主である、あの方しか--
「もうすぐ上酒が手に入る……よし、今夜は宴会だ!」
 ……彼の頭の中にはやっぱりそれしかないらしい。
「もう判ったのか!?」
「ええ」
「だ、誰なのだ」
「--民間陰陽師に、蘆屋道満(あしやどうまん)という者がおります。彼でしょう」
 蘆屋道満。
 彼は、自称・法道仙人という、まあ結構偉いらしい仙人の弟子であるとともに、民間陰陽師--陰陽寮に属さず、民間で私的な依頼を受けて加持祈祷や占いなどを行う、非官人の陰陽師--の中でもトップに君臨しており、晴明と互角の能力を有している--いわば晴明のライバルである。
「あ、ご心配なく。私が居場所を突き止めますので」
 晴明は懐から一枚の紙切れを取り出した。
 それを同じく懐から出した鋏で器用に切り、鳥の形とした。
「?」
 バッ
 それを宙に放り投げると、たちまち紙切れは白鷺に変化した。
「おおお!!」
 白鷺はひらりと身を翻し、南へと飛んでいった。
「鳥の落ちた場所に彼はいます。追いかけてください」
「そうか。--今からあの鷺の後を追い、蘆屋道満とやらをひっ捕らえよ。そしてそのまま帝の御前に連れてゆくのだ」
 それに応じて侍従たちは短く返事を返し、道長邸の門をくぐって出て行った。
「さて、我々も大内裏(だいだいり)へと向かうか」
「そういたしましょう」
 二人も侍従などを従え、大内裏--平安京の宮城であり天皇の御所である場所へと向かった。
「は、放せ〜!!」
 門の外が急に騒がしくなったと思うと、侍従に連れられて部屋に一人の男が入ってきた。
「道長様、道満とやらを連れて参りました」
「ふむ。ご苦労であった」
 天皇の傍に座っていた道長は侍従をねぎらった後、連れてこられた人物をじっくり見回した。
 暗い色の袈裟を着込み、頭をスキンヘッドにした姿は、いかにも「私坊主デ〜ス」といわんばかりの風采であるが、彼は民間陰陽師の一種であり「法師陰陽師」と呼ばれる、坊主の姿をしてはいるもののれっきとした陰陽師なのである。
「一体誰の差し金か?」
 天皇に尋ねられると、道満は悪びれることなくぺらぺらと喋り始めた。
「私の一存でやったことではありませぬ。藤原顕光(ふじわらのあきみつ)様の、『あの憎き藤原道長を呪殺せよ!』とのご命令により行った所存でございます」
 藤原顕光というと、父親が関白になったときに公卿(くぎょう)にはなったものの、父の死後はその弟へ、そしてその子--彼にとっては従兄にあたる、道長へと主導権が持っていかれ、しかも数々の失態を繰り返してしまうという転落人生を歩んでいる。そのため、道長へ対する恨みはとても強い。
 そんな彼に陰陽師として雇われているのが、彼--民間陰陽師の蘆屋道満である。
「やはりそうか……」
「さて、刑はどうしたものかの」
 今上帝--後一条天皇が思案げに呟いた。
「やはり、ここは斬首か……」
 帝の発したその言葉を聞いて、道長の横にいた晴明はぴくんと肩を震わせた。
 晴明はそそくさと道長に寄っていって、彼の耳元に手をかざし、何かをぼそぼそと囁いた。
「……わ、判った。主上に奏上してみよう」
 すると今度は道長が天皇の元に近づき、耳打ちを始めた。
「助けてくれ! 死刑だけは……死刑だけは、なんとか」
 道満が大声で命乞いの言葉を叫ぶ。
「--わかった。刑はこうだ」
 天皇は道満に向かって凛と言い渡した。
「お主は島流しの刑とす。場所は、播磨(はりま)だ」
「播磨……!? 我が生まれ故郷に、なぜ」
「罪人を連れてゆけ」
 道満は天皇の侍従たちにずるずると引きずられ、部屋を出て行った。
「それにしても……たった一言二言で刑を変えられるとは……権力の力とは恐ろしい……」
「ん? 何か申されたかな晴明殿」
「い、いえ」
 --晴明はあのとき道長の耳に手をかざし、こんなことを言っていた。
『--流刑が妥当かと』
『流刑!? 我の命を狙ったにもかかわらず、か?』
『--彼は道長様に呪詛を仕組みました。それは紛れもない事実です。しかし、彼は私と肩を並べるほどの術師。以前手合わせをしたこともありますが、相当の手練です。彼を殺してしまうのには実にもったいないかと』
『むう……しかし、流刑地はどこに……』
『彼は播磨の国の出身だったはず。生まれ故郷に流せば、彼を知る者も多いでしょうし、職を見つけるのもたやすいことでは?』
『播磨……か』
 播磨といえば、今でいう兵庫県の南西部である。何だ〜、京都から近いじゃない、と思うかもしれないが、この時代の人々にとっては京都から兵庫までというとメチャクチャ遠かったのである。
 --しかし、貴族といえども下っ端に数えられる者の一意見が、時の権力者に抱えられているというだけでこんなにいともたやすく通るとは、なかなか世の中というのは面白いものである。
 あれから特に目立った事件もなく、平和に時が流れていた。
「さて、そろそろ私はお暇いたします」
「もう帰られるのか」
「はい。--というか、酒はいつになったらもらえるのですか」
 あのあと何だかんだあってすっかりうやむやになってしまっていたが、今日という今日は手ブラじゃ帰らない。
「え? 酒……ああ、あれはもう呑んでしまったぞ」
「はいぃ?」
 晴明は思わぬ返答に凍りついた。
「え、だって、終わったらくれるって……」
「いや、余ったら差し入れにでもいこうと思ったんだが……思ったより来客が多くてな。全部呑んでしまった」
 声高らかに笑う道長の横で、晴明は青筋を立ててぐっとこぶしを握りしめた。
「……あの努力は……何のためにッ……!!」
「まあまあ、気を落とすな晴明殿。また今度上酒が入ったら差し上げるゆえ」
 隅っこでぷるぷる震えていた晴明の肩を、道長はそうさせた張本人のくせにぽんと人事のように叩いて慰めた。
「……今度っていつですか……」
「今度は今度!」
「………」
(こりゃ一生もらえないな……)
 晴明はぴくぴくと頬の筋肉を引きつらせ、「よろしくお願いしますよ」とだけ言っておいた。
「じゃあ、私はこれで」
「ああ、今度何かあったらよろしくな」
 晴明は軽く会釈をして退出し、とぼとぼと帰路についた。
「はあ……たく、道満め……てこずらせやがって」
 晴明はごちゃついた自室に呆然とした。
 これは決して誰かに空き巣に入られたとかそういうのではなく、単に占いのためにと彼自身で色々と書物やら道具やらを散らかして片付けていないというだけのものである。
 当分見ないフリをしてきたが、さすがにもうそうはゆくまい。仕事に差し支える。
 ぶつぶつとぼやきながらひととおり片付けおわると、机に向かって手頃な位置にあった書物を開き、読み始めた。
「せーいーめーい! おい、あべのせーめー!!」
 突然、外から彼の名を呼ぶ声が聞こえた。
「? 何だか急に外が騒がしく……」
 晴明がゆっくりと腰を上げ、(ひさし)まで出てみると、そこには--
「安部晴明。この前はやむなく負けてしまったが、今度はそうはゆかぬぞ」
 不遜な態度をした、袈裟姿の陰陽師。
「道満ッ……なぜここに!? 播磨に流されたんじゃっ」
「くやしさのあまり舞い戻ってきたのだ。--対決だ」
 晴明は目の前が真っ暗になった。
「えー……イヤだ」
 晴明の悲しげな呟きが、屋敷中に響き渡った。
TO BE CONTINUED……

[第二章]
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